喜多院の太子堂は弘化4年3月、末寺混合院境内地に創建されました。明治以後廃寺にともない日枝神社境内に移し更に明治42年3月現在の多宝塔建立地に移築されました。
そして昭和47年11月この地に立派な六角太子堂として再興されました。中央が太子堂、左側の石塔が木遣塚です。
木遣とは、建築用材に用いる大木を運ぶ時、大勢の力を合わせて引く歌を云い、木曳歌と同義語です。木曳の際の号令の役目をした掛声が木遣歌となりました。
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川越は小江戸といわれるだけあり、たくさんの神社やお寺がたくさんあります。とても1日ではまわれません。また四季折々の風情もあります。
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延暦寺第18代座主慈恵大師良源(りょうげん)をまつる御堂で、現在は喜多院の本堂の役割をはたしています。入母屋造りで、屋根は銅板葺き。大火後いち早く再建されました。
熊野神社は、『明細帳』によると天正18年(1590年)蓮馨寺二世然誉文応僧正が紀州熊野より勧請したことに始まり、以後、松郷の人々が氏神として崇敬した。