江戸時代の川越は「川」を利用し、水運が発達していました。新河岸川に「舟運」(しゅううん)を起こし、大消費地である江戸へ物資を運ぶ役割を果たし、商人のまちとして大きく発展しました。
昔この場所には「仙波河岸」という河岸場がありました仙波河岸ができたのは明治の初めころのことです。
これまでにも新河岸川の下流にはすでに数箇所の河岸場があり、江戸と川越の間を船を使って物品を運んでいました。
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川越めぐりは我が街川越をたくさんの画像を交えながら紹介いたします。
川越は小江戸といわれるだけあり、たくさんの神社やお寺がたくさんあります。とても1日ではまわれません。また四季折々の風情もあります。
私は小さいころから川越に住んでいます。そんな川越を皆さんにも見てもらいたくこのようなサイトを立ち上げました。素敵な川越をぜひみて見て下さい。
川越めぐりの記事ピックアップです。
時の鐘は、江戸幕府が江戸市中に鐘を鳴らして時を告げていたことにならい、寛永年間(1624年~44年)に川越城主酒井忠勝が、城下多賀町 (いまの幸町)に建てたものが最初といわれています。
喜多院の多宝塔は県指定文化財となっていて、江戸時代 寛永16年 1639年・本瓦葺です。多宝塔はもと白山神社と日枝神社の間にありました。
長徳寺境内には、もと土塁があったといわれ、堀の内という地名などから、仙波(せんば)氏の館跡と推定されています。
成田山川越別院は、川越別院成田山本行院と称し、いつの頃からか「久保町のお不動さま」とも呼ばれるようになりました。